この定水寺は、初代熊澤太郎兵衛(寿福院堆具居士)により切り開かれ、沢沼を起こして田を耕し、興国2年(1341)氏神、三社を祭り村を興した事に始まります。その後、四代目熊澤景連が法華経お題目信仰に感銘し、明応4年(1495)8月に日蓮宗総本山である身延山第11世行学院日朝上人の高弟、智運院日性上人を招いて開基となし、第一の檀越となって当山を建立しました。
その後、18世全朗院日觀上人、27世恵光院日壽上人と当山を盛り上げるも、濃尾震災以後荒廃しておりました。42世遠悠院日正上人の代にまた当山を再興させ、46世日鳳上人代には本堂書院庫裡の再建がなされ、現在の伽藍の姿となっております。
今から約500年前の室町時代(1495年)に身延山より智運院日性上人というお坊さんを呼んで創建されたと伝えられております。 開基とされる智運院日性上人は身延山久遠寺の第11世行学院日朝上人の高弟であり、その関係で当寺院には行学院日朝上人が祭られており、参拝する方の眼病を守護して下さいます。その智運院日性上人の後、2世詮理院日陽上人、3世寂妙院日法上人と続き、現在が47世の住職であります。
明治以前、廃仏毀釈が行われる前までは、村の神明、山王2社を控宮として妙泰寺の持分でありました。濃尾震災にて大きな被害がありましたが、その後戦火をまぬがれ、幾度となく改修を重ね現在に至ります。
明治以降は、濃尾震災で被害に遭うも、戦火をまぬがれ幾度と無く改修を重ねてきましたが、平成2年に現住職が本堂・庫裏・書院の再建して今に至ります。
お釈迦さまが晩年に説かれた教え妙法蓮華経「法華経」を拠りどころとし、「法華経、如来寿量品」に説かれた三身(法身・報身・応身)常住、過去現在未来の三世に亘って私たちをお救いしようとしているのが久遠のお釈迦さまです。
「毎に自ら是の念を作す、何を以ってか衆生をして、無上道に入り、速やかに佛心を成就することを得せしめんと」
これが久遠のお釈迦さまの誓願で、いつも私達を成仏(仏心を成就する)させようと手を差し伸べているのです。
行学院日朝上人は、室町時代の高僧で、日蓮宗の中興の祖と称される人物です。
日朝上人は頭がよく、たいへん多くの書物を残されていますが、勉強に熱心すぎたのが災いして目が見えなくなってしまいました。ただ、勉強だけでなく、信力も優れており、南無妙法蓮華経のお題目の力で視力が回復したという謂れから、目を治すという信仰があって、妙泰寺でもお祀りしています。
運気を向上させると伝えられる、北極星を神聖化した神様です。全国に妙見山信仰はあるのですが、妙泰寺の御神体は大阪の能勢町にある妙見山から御分体をいただいてきたものです。
お講という、信者さんの集まったグループが本山へのお参りなどをしていて、御分体をお寺に持ってきたと伝えられております。
鬼子母尊神は、元々は恐ろしい鬼女でしたが、釈迦の教えによって改心し、子どもを守る神へと変わりました。安産や子育ての守護神として多くの人々に信仰され、日本各地に祀られています。その象徴であるザクロを持つ姿は、多産や豊穣の象徴であり、現代においても子どもの成長を願う人々にとって重要な存在です。
- 眼病守護日朝上人 -
- 妙見堂内部 -
- 鬼子母尊神・十羅刹女・七面大明神 -
日蓮大聖人を祖師とする日蓮宗の寺院で、今から約530年前の明応4年(1495)に建立されました。日蓮大聖人のお題目を唱えることによって世界が全体幸せになることを目標に日々精進して参る所存です。
当山妙泰寺には眼病守護の行学院日朝上人や運気向上の開運北辰妙見大菩薩、病気や困ったことから救って下さる鬼子母尊神などの守護神も祀られており、さまざまな方々の悩みや相談を聞いて下さいます。ただ、そのような姿も、久遠の本仏お釈迦さまが姿・形を変えていつも私たちの傍にいて、常に手を差し伸べている仮の姿でもあるのです。そこに気づいて頂き、仏教の教え、お釈迦さまの教え、日蓮大聖人の教え、法華経・お題目の教えに少しでも耳を傾けて頂きましたら幸いです。
また、心を清く洗い流すお寺「洗心道場」として、年中行事の他、毎月の一日参り、勉強会・講義・写経なども定期的に開催しております。どなた様でも参加して頂けますのでお気軽にお越しください。お参りして祈ることによって、心が浄化される場を提供しております。
第47世 住職
松永寿康